地図には記される幻のルートはここから始まる・・・

標高3800m。富士山よりも高く、空気の薄さが肌で実感できるこの場所に、ランタン渓谷最奥村、キャンジンゴンパがある。

(標高4950m)ランタン渓谷の最奥のに聳える世界第14位の高峰シシャパンマ(8012m)が望める

数百年前、道なきヒマラヤを命がけで越え、未開のこの渓谷に移住してきた来たチベット人が祖先となるチベット系タマン族が、独自の文化を頑なに守りながら、ヒマラヤの厳しい気候の中で、逞しく暮らし続けてきた。 チベットから移り住む時、彼らは毛がフサフサとした大型の高地牛『ヤク』を連れ、ランタン渓谷の豊富な牧草で半農半牧の生活をするようになった。 肥沃なランタン渓谷はチベット人の主食である大麦とジャガイモを育て、換金作物として蕎麦を育てる。

半年以上かけてゆっくりと乾燥させ、表面が白くなるとこの地の民の力を借りてカトマンズに運ばれる

キャンジンゴンパ村はもともと、『ヤク』の夏の放牧地だった。 可憐な花々が一斉に咲きほこる短い夏、青草を求めヤクと共に山岳民族が簡素な石垣の家のなかで、ヤクの貴重な薬草成分が含まれるミルクを一日に2度搾乳し、栄養価の高い食料として重宝されてきた。

旅行者にも貴重なチーズを量り売りで分けてくれる。チベットで産出される岩塩を使用している。

1960年代に入り、ネパールが外国人登山者を受け入れるようになると、この地にも多くのトレッカーがやってくるように。 ヒマラヤの眺望が抜群のキャンジンゴンパは、放牧地として使われていた畑に旅行者向けのロッジが所狭しに建てられるようになった。

ネパール同様の山国であるスイス人から習ったチーズを作る工場も建てられた。 カトマンズから赴任される技師によって当時からのチーズ製法がしっかりと受け継がれ、良質のチーズが作られている。 ここで作られたチーズは山岳民族の力を借りて、100㎞以上離れたカトマンズへ大切に担がれて運ばれている。 ネパール全土に8つしかない、『ヤク』専用のチーズ工場がここにある。 (➡ 詳しくはこちら

60年前に伝わったスイスの技法をしっかりと守り、一つ一つチーズが丁寧に作られていく・・・

村の背後に聳える盟主ランタンリルン峰のBCへ延びる生活道の先には、村を見下ろすように建てられた古き寺院がある。 この地にチベット人が移ってきた頃に建立されたと言われ、村人の心の拠り所として大切に神が祀られている。 毎年夏に行われるトゥッパチェジュ祭りは、ふだんカトマンズで暮らすランタン渓谷の民をこの地に誘う。 寺院を舞台に3日間、老若男女が祝い続け、歓声がランタン渓谷に響き渡る。 男たちは弓の腕前を競い、女たちは輪になって踊り続ける。

いつから始まるかは分からない。人が集まり始めると祭りがスタートする。

トゥッパチェジュ祭りに作られた即席のテントキャンプ。石垣の上に木を組み、ビニールシートを被せて作る

一週間にわたる快適なテント生活が送れるよう、地面に藁を沢山敷き、その上にマットを置いて寝床を作る。

ランタン渓谷で暮らす民(チベット系タマン族)は、カトマンズにほど近いヘランブー地域で暮らす民(チベット系タマン族)と交流するために、険しい岩稜が続くガンジャラ峠を行き来してきた。
ヒマラヤで隔てられた同じ民族はチベット教の神事、通婚のために、初夏から初秋の無冠雪時になる数ヶ月間に限って、互いにこの峠を越えて行き来する。

ランタン渓谷の入り口であるシャブルベンシとカトマンズの間に車道が無かった時、渓谷に暮らす人々にとって、一番早くカトマンズに出るルートだった。
今もこのルートは彼らによって使われ、ヘランブーの女性がランタン渓谷の村へ嫁ぎ、ランタンの男性がヘランブーへ婿入れに。 そのためランタン渓谷とヘランブー地域には古来からの文化が色濃く残っている。

 

古から行き交う幻のルート、ガンジャラ峠を越えてカトマンズに抜けるルートは、キャンジンゴンパ村を出発することから始まる。

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