北海道の2つ分の大きさであるネパールのほぼ中央部、7000m~8000mの巨峰が150㎞にわたって連なるアンナプルナ山域の裏側には、数百年にわたりチベット仏教を保護してきたムスタン王国が今も当時の面影を色濃く残し、存在する。
1999年、チベット内で迫害を受け続けてきた宗教指導者のひとり、カルマパ17世が支援者の協力を得て氷点下30度にもなる真冬のチベットから越境し、ムスタン王国を抜けてダライラマが暮らすインド・ダラムサラに逃れる事件が起きた。 ヒマラヤの北側に位置するムスタン王国に絶大な宗教権力があったからこそ、高僧カルマパ17世は中国から逃れることができたといわれている。
インドとネパールの国境付近で発生した仏教がチベットに持ち込まれる前のこと、チベットには土着宗教であるボン教がチベット全土に広がり、強い影響力を保持していた。 ヒマラヤを越えて仏教がチベットに持ち込まれると、チベットの民の支持を得て急速に広まり、ムスタン王国やグゲ王国などのいくつもの王国では仏教を国教とした。 チベットの民はインドから来た仏教に魅了され、元来の宗教であるボン教は廃り、静かに民の心の中に消えていった。
幾度となる激動な時代を経て、ボン教を信じる民は他宗教と関わることを拒絶していく運命をたどった。
アンナプルナ山域の北側に散在する村々も決して例外ではなかった。 ボン教徒は他宗教を信じる人々との交流を少なくしていく道を選び、いつしか村の存在が人々の記憶から消えていくことに。 そして、村人全てがボン教を信仰する唯一の村としてルブラ村がヒマラヤの辺地に残った。
・記憶から消えたルブラ村へ誘う・
ルブラ村へには2つのルートだけが延びている。 聖地ムクティナートから赤茶けた大地を辿り、踏み跡が不明瞭な一本の道をひたすら進むルート。 もう一つはカリガンダキ川の支流である名も無い河原を歩いて辿るルート。 前者の聖地ムクティナートから続く道をたどり、アンモナイトが所々で産出している丘を抜け、ダウラギリ山群の絶景を仰ぎながら訪れるルートを勧める。途中には民家など一切無い。ヒマラヤの原野が延々と続くだけだ。
ルブラ村の中心には800年以上の歴史があるゴンパ(寺院)が建立され、この地に初めて訪れたチベット僧によって植樹されたと語られている巨木がゴンパの傍で力強く生き続けている。 今では村のご神木として村全体を守り続けている。
ルブラ村は非常に小さな村だ。 5分も歩けば村の外に出てしまう。 マッチ箱のようなチベットの伝統的家屋が立ち並ぶ間に作られた迷路の様な小道を抜けると、誰一人頂を許したことのない峰々、ムクティナート・ヒマールが聳えている。 村をかすめるように流れてきた急流は赤茶けた大地の岩盤を削った。 深い谷を刻んできた渓谷の壁にはかつて海底だった波の化石が十数メートルにわたって見られる。
赤茶けた堆積土によって作られた岩盤が風化し、もろくなった部分をくり抜いて作られた洞窟は、先人のチベット僧が修行した名残だ。
・圧巻!アンモナイトの化石層・
歴史あるゴンパ(寺院)の背後にむき出しになっている地層には、ヒンズー教では神様として崇められるサリグラム(アンモナイト)が沢山姿を現している。
正確に言えば、アンモナイトが含まれているまん丸の石(ノジュール)でる。 直径30㎝~50㎝ほどのノジュールが一定の地層に無数に埋まっているのが肉眼ではっきり見え、圧巻である。 ルブラ村の民もサリグラムの存在を知っているが、あえてこのノジュールを取り出すようなことはしない。 大地から自然に生まれてくる神様だけを触れるという。
この地を訪れることができるのならば、ぜひ2日滞在し、ゆっくりとヒマラヤを見ながら周辺を散策してみてはどうだろうか?