連日、カトマンズ市内を朝から晩まで駆け巡るネパール出張。 留守をしていた日本の事務所に一本の電話があった。 内容はネパール人に対して通訳して欲しいとの事だった。 帰国後、すぐに連絡をとり、依頼主から通訳に必要な資料などを頂いて、依頼者の意向を十分理解した上で、通訳を行うことに・・・

ヒマラヤとの出会いは・・・日本人の一言だった

当時、大学生の夏休みを利用してカレーで有名なインドに出かけた。 事前に何もインドのことを調べず、バックパックを背負い、パスポートと航空券だけを握りしめ、灼熱の大地に降り立ったのだ。 しかしすぐにトラブルに巻き込まれ、一人の日本人の中年男性に助けられるまで、日本に帰りたい一心だった。 男性が『ネパールは良いところだから行ってごらん』という言葉が耳の奥に残り、その年の秋にネパールに向かった。 真っ青なキャンバスに描かれる鋭く天を突き刺す真っ白なヒマラヤに出会った。 巨峰の山麓で暮らす山岳民族の暮らしぶりを見ながら人の優しさに魅了された。 大学で自然地理学を専攻していたことも有り、卒業論文を世界で最も美しいランタン渓谷で書き上げ、卒業と同時に辺境地専門の旅行会社の仕事に就いた。

◆ヒマラヤにどっぷりと浸かったる20代後半

退社後もヒマラヤに通い続け、いつしか日本を離れてヒマラヤに籍を置いた。 仕事仲間のドイツ人ガイドより、ゲストに合わせたヒマラヤの歩き方の指導を受けながら、ひたすら旅行者のザックを担いで、ヒマラヤの国々を何日も歩きまわった。 ゲストに合わせたヒマラヤ流の歩き方を行うことで、高山病にかかり難いトレッキングが可能になって、途中離脱するゲストが殆どいなくなった。そしてヒマラヤ専門ガイドとして独立した今の自分がある。

寝食をネパール人と共に行ってきたので、ネパール人特有の考え方(発想の仕方)や習慣をいつの間にか理解できるようになった。 この経験が通訳に最も重要になるとは思わなかった。

◆通訳に大事なのは彼らが育つネパールを知ること

当時、相手の話したことをそのままネパール語に変換して話せば・・・通訳ができると思っていた。 しかし実際はそうではない。 日本人とネパール人のバックグラウンド(生活様式の違い、ものの考え方等)が大きく異なるために、話し手の言葉をそのまま通訳しても、相手が理解できないのだ。 互いのバックグラウンドの違いを当事者同士に念入りに伝えておくが、通訳を行う上で、とても重要である。

バックグラウンドの相違と言っても・・・ネパールでは日本人に馴染みの無いカースト制度という身分社会の中で数千年の時を刻んできた。 彼らの考えの根底にはヒンズー教の考えがあり、そこから派生する文化などによって培われた生活の中からの考えは、私たちの感覚では理解できないことばかりだ。 ネパールを知らなければ通訳ができないのである。

例えば・・・こういうことである。

時間の観念が大きく違う。 ネパールのローカルバスは時間通りに発車はしない。 何時になろうと構わないのである。 客が居なくて何故発車しなければならないのだ? 満席になったら出発するという考えがネパール人の発想だ。 日本人に到底理解できない思想だが、ネパール人には普通に受け入れられる考えなのである。

20数年にわたり、ネパールの中にどっぷりと身を置き、実体験してきたことがネパール語通訳を行う上で大きな武器になっている。 ネパール語を日本語に通訳する上でもその逆でも、このような背景を考えながら通訳を行うと互いがスムーズに理解しやすい。

私の通訳が当事者同士の意思疎通の手助けになり、良い結果となることが一番の願いである。

ヒマラヤトレッキング・登山専門 サパナ